クリーニングのトータルコンサルティング
2018年07月05日
6月6日、TCCの会合で、鞆の浦温泉・欧風亭で会食しました。
写真1 会食をするメンバー(浴衣の柄に投票中) |
食前酒 保命酒
前 菜 芹と占地の胡麻浸し
小鯛松前寿し
碓井豆豆腐 クコの実
蛸旨煮 菜の花 蝶々南瓜カステラ
お造り 本日のお造り盛り合わせ
焜 炉 海鮮フォンデュ
焚き合せ 煮穴子 蕪 筍 蕗
替わり鉢 蒸し鮑のコロッケ
海老真丈ライスペーパー包み揚げ
松の実ソース 玉葱揚げ粉
彩りサラダ 南蛮野菜
洋 皿 ローストビーフ
お食事 鯛めし
赤出汁 香の物
水菓子 オレンジ風味のチョコレートムース
鞆の浦 ホテル欧風亭
料理長 落合 修一郎
翌日、ゆっくりと温泉に浸かり、朝飯をいただきました。
露木会長に誘われるままに、志村さんと3人であてどもなく「鞆の浦」を散策しました。
鞆の浦の散策。昔のままの狭い石畳の路地、明治・大正か昭和時代のようであり、私が生まれた頃よりも遙かに古いといった趣で、映画のセットに迷い込んだようなまさに時間が止まった感がありました。
車でここに来たのが間違いなのではないかと錯覚しそうで、渡船の乗り場までは広い道なのですが、他は、車がすれ違うのがやっとという道で、普段この辺りでの生活は歩いてするのです。と言われているようでした。
建物、商店、看板、この町並み、ここでの生活感の中での私はどのように見えるのだろうか、さぞやあくせくと仕事をしている「ワーカーホリック」そのものに写るのではと、ちょっと自分が解らなくなりそうでした。
鞆の浦の周辺を露木さんの車でざっと一周し。渡船の駐車場に車を置いて散策をという段取りになりました。
写真6は、仙酔島への渡船・平成いろは丸です。最初見たときは船?、でした。考えれば「いろは丸(160トン、3本マストの機帆船)」の外観をまねて作られているので、チョット異な船に見えたのでした。
昔の灯台と思われる「常夜燈」まで行こうと、海縁の道を歩きました。途中、雁木と呼ばれる、古い石組みの港を修理している風景を見ました。
写真9は乾物屋ですが、こんな少ない品揃えで店が成り立っているのかと不思議な思いがしました。
写真10は、路地で見つけた井戸。写真11は、福山西警察署・鞆交番です。ぶらぶらと、1時間ほど掛けて一巡りして渡船のところまで帰ってきました。
行きしなに目の前にそびえている石垣の上に「世界記憶遺産登録・對潮楼」とあるを、なんと読むのだと話合っていたのですが、露木さんが地元の人に尋ねると「たいちょうろう」と素直に読むのだと言われました。是非、景色を見るべきだと言われ、登りました。
福禅寺・對潮楼というのが正しい呼称のようで、福禅寺の説話や会合に使われた座敷のようで、言われた通りすばらしい景観でした。
写真12は、1865年、明治が1868年ですのでいわゆる、幕末の志士を撮したものです。その横に、写真の人物の名前がしるされているものがありました。
左上から、勝海舟、2人おいて後藤象二郎、江藤新平2人おいて伊藤博文、村田新八、小松帯刀、大久保利通、西郷隆盛、他に黒田清隆、五代友厚。座っている人の中には大村益次郎、桂小五郎、中岡慎太郎、大隈重信、岩倉具視、高杉晋作、坂本龍馬。ものすごい写真なのですが、西郷隆盛とあるのを見て、チョット首を傾けたくなるのです。西郷隆盛は生涯写真には写らなかった言われるからなのです。。
写真12 幕末の志士の写真 |
写真13 幕末の志士のお名前 |
坂本龍馬率いるいろは丸(160トン・45馬力)と紀州の軍艦明光丸(887トン・150馬力)は鞆の浦の沖合で衝突、いろは丸は沈没しました。
その賠償交渉がはじめに行われたのが對潮楼だと言われています。ここでは決着が付かず、その後交渉の末紀州藩は7万両(現在の価値で約28億円ほど)を支払ったそうです。この時、積み荷は鉄砲、金塊等だとされ交渉したのですが、実際にはこのようなものは積んでいなかったといわれます。その時のいろは丸側の交渉人は後藤象二郎だといわれています。
楽しい、散策でした。